こんにちは、もやしししゃもです。
先週は手計算マイニングをして少し疲れていました。笑
最近は、ビットコインの普及活動に関する話や、ビットコインが必要か不要かの話なのにビットコイナーに対して苦言が呈されたり、ビットコインの早期参入者がズルいという公平感の話、マイケルセイラーへの違和感が次第に強まってきていたり、ビットコイナー関連で何かと話題が多いと感じます。
少し、他人や他人の活動・言動に気が向かってしまう時期なのでしょうか。他人に注目してしまうということは、自分と向き合うべき時期でもあるのかなと思います。(僕は黙々と手計算マイニングというアホらしいことをしておりましたが。笑)
上記の話題の中で、ビットコインの普及活動について考えてみようと思います。
僕はこの「Read BTC」を通して微力ながらビットコインの普及活動となっているのかなと思います。
たまにこのRead BTCが誰かのためになっているのかなとか、意味あるのかなとか、逆に自分のためになっているのかなとかを考えることがあります。
個人で取り組む活動は、一人でしか悩めないことが多いので不安になることが多いです。特に、ビットコインの普及活動は組織的なものよりも個人活動が大半だと思います。
また、ビットコインは市場原理によって自然と広がっていくという考え方もあります。自然的なものに対して、人為的に普及させるということは不自然に繋がり、歪なエコシステムを形成してしまう可能性もありますよね。
他には、ビットコインを普及させてしまっては、自分がビットコインを集める期間が短くなってしまうので、経済的に非合理的であるという考えもあるかと思います。
ビットコインの普及活動に対して色んな考え方がある中で、僕にとっての意味を考えてみようかと思います。
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僕が考えるビットコインの普及活動の意味とは
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