こんにちは、もやしししゃもです。
ビットコインは時々宗教っぽいと言われることがあります。個人的にはあながち間違っていないと考えており、過去にキリスト教とビットコインの類似性について考察しました。
「ビットコインは宗教だ」と片付けたいわけではなく、むしろ適切な宗教性があるからこそ、今日まで存続され、多くの人に広められてきたのではないかと思います。
宗教性については上記の記事を見ていただければと思います。
ところで、ビットコインにはなぜ宗教的な性質があるのでしょうか。完全に持論ではありますが、ビットコインには東洋哲学的なアプローチが根底にあるのではないかと考えています。(東洋哲学と宗教性の関係は記事の中で説明します)
今回の記事では、ビットコインと東洋哲学、または西洋哲学との関係について考察します。東洋哲学と西洋哲学はいずれも哲学ではありますが、哲学の成り立ちに違いがあります。東洋哲学はピラミッド型、西洋哲学は階段型と表現されることもあります。こちらも詳細は記事の中で説明します。
そして、ビットコインはどのように成立したのかを考えるために、東洋哲学と西洋哲学とを対比しながら考察します。
僕は哲学にすごく詳しいわけではありませんが、下記の2冊を読んでみてザックリと全体像や西洋哲学と東洋哲学の雰囲気の違いを感じているくらいです。(初心者でも読みやすくおすすめです)
そのため、哲学ガチ勢の方にとっては違和感のある内容もあるかもしれませんが、1つのアイデアとして読んでいただければと思います。
ちなみに関係ないですが、僕は東洋哲学の老荘思想の考え方が好きです。
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西洋哲学と東洋哲学のアプローチの違い🌏
ビットコインの東洋哲学性を話す前に、西洋哲学と東洋哲学のアプローチの違いについて話します。
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